やはり私はフランス.パリの町が好きですからまたここに戻って参りました。
2023-05-10
パリの町は美術館.芸術品が多く素敵な町です。
世界中でどの町が好きか?と問われるとやはり私はパリの町が一番好きですね。
フランス人は美男子.美女が多いし美術館に、絵になるような建築物が多いです。
ナポレオンが300年前に都市計画をして建物の高さ制限をしていますからサクレクール寺院.大聖堂の在る、モンマルトルの丘に登ると綺麗なパリの町並みが一望できます。
パリの町は京都市内のような広さですか?地下鉄.タクシーで移動が比較的に簡単にできます。
オペラ座の正面にルーブル美術館が在って、その美術館の裏手にセーヌ川が流れています。因みに「セーヌ川」と言うのは曲がりくねった川と言う意味のようです。
このセーヌ川の中に中の島があってこれを「シテ島」と言います。大阪にも大阪駅から地下鉄御堂筋線で1駅ぐらい走ったところに「中之島」と言う駅がありますね。これと同じでそのような中州の町です。フランス.パリは不動産の超高価な町ですが、この「シテ島」は特に不動産の高い地区と聞きました。
シャンゼリゼ通りに「凱旋門、ルイ.ビトン本社、キャバレー.リド等」が在りますが凱旋門の西側?ブローニユの森、界隈?ですかの高級住宅街の古風.アンティックな石造りマンションはアラブの王様.皇太子の別荘用に利用され人気があって1部屋80億円~100億円すると聞きました。
どうやら、つらつらと考えて見ると不動産の価格.お値段はその地域の「人気度」と正比例するようです。
このシテ島の中にマリーアントワネットがバスティーユの牢獄に幽閉される前に一時的に監禁されていた宮殿が在ります。この宮殿に入ってみました。宮殿の中にマリーアントワネットの気の毒
なくらい変わり果てた晩年の彼女の写真が展示されていたので、これを私が直接デジカメで撮影(上の写真) をして参りました。
800年間続いたパプスプルグ家の女帝マリア.テレジアの5番目?の皇女.姫でフランスのルイ16世に嫁いで栄華を誇っていた頃の肖像画と比較するとかなり窶れたように見えますね。彼女は断頭台に乗せられる処刑前に一晩で頭髪が真っ白になったと聴きますが、ビフォアーアフターのアフターの彼女の写真がこの上段最左写真です。
悲劇の王女と揶揄されるように最期はギロチンで処刑をされたようですがベルサイユ宮殿を案内してくれた現地ガイドさんに彼女は国民に対して「バンが無ければケーキを食べて居なさい。」と本当に仰ったのですか。と私が尋ねると、それは後日談の作り話で嘘だったように話していました。しかし、夫のルイ16世の遺体は跡形も無かった、アントワネツトの遺体もどうなつたか判らなかった。と説明をされていました。先日も西ドイツ在住の日本人と話したことがありますがフランス人は激怒すると怖いと仰っていました。現在のパリの町はマクロン大統領の悪政で荒れているようです。
しかし、アントワネット妃が幼少の頃、天才作曲家ウォルフガング.アマデウス.モーツァトと女帝マリアテレジアと一緒に写っている写真をオーストリア.ウイーンの「シエーンブルン宮殿」の中で見ました。
アントワネツトはモーツァルトが好きで彼と結婚したかったようですね。彼と結婚していたら悲劇の女王の汚名を着せられる事はなかったでしょう。歴史は全て運命の悪戯の連続ですね。